脂じみた匂いのする、手負いの獣の汚れた毛皮のような画面。
そこには距離を置いて眺めることを許さない、不思議な吸引力があり、たちまち細部に目が吸い寄せられていく。
あたかも太い索で帆柱に縛り付けられたまま、見えない暴風雨に滑りこんでいくような感覚。どの細部を見つめても、あらゆる方角から吹き付ける風が目を東へ、北へ、南へ、数千キロかなたに連れ去り、しかし切れることのない強靱な索に、その都度〈ここ〉へ引き戻される。そのような激しい往還の感覚、感情の砂嵐を肌に刻むように描かれた絵。
鉛筆画の大作「カオス」=写真=は、現在新潟で制作する画家の中で、もっとも深く精神的(スピリチュアル)な世界を凝視し続けてきたひとりである栗田宏が、25年前、三十代初期に描いた作品。
1990年代に不思議な浮遊感を持つ「密」シリーズを描いて以降、栗田は寡作になり、空白期があり、陶芸に近づき、2000年代になると油彩による「白」のシリーズが始まる。2007年に砂丘館で開かれた回顧展でそのような軌跡をあとづけて感じたのは、シンプルなようで複雑な奥行きを持つ、この画家の絵の出発点である、1980年代の制作の重要さということだった。
1980年代作品を支配するのは、息詰まるような濃密さ。見つめていると心地よさより、むしろ苦しさを感じる。その苦を避けず、その中心へ常にまっすぐ下りていくこと、いけることが、この時期の彼にとっての「描く」意味だったのではないだろうか。ある年代だけが支える力を持つ、感情の坩堝、嵐、洪水、災禍がここにはある。
この受苦の感覚を通過して、1990年代以降の、魂を離陸させるような浮遊感が生まれてきたのだ。
栗田の絵を継続的に紹介し続ける画廊による、初期作品を紹介する貴重な展覧会。